石川版 散歩しよう 〜その8〜

《七尾》

●小丸山城跡(小丸山公園)

天正9年(1581)、利家は信長から能登一国を治めるように命じられ、七尾城に入城しました。翌年、所口の小丸山に新しく城を築きました。
これが小丸山城です。
城の中心部である本丸は東西80メートル、南北72メートルの広さがあり、現在は第一公園となっています。それを囲むように天性丸(現第二公園)、宮丸(現愛宕山相撲場)などの廓がありました。本丸には辰巳櫓と坤(ひつじさる)櫓が建っていたということです。

天正11年(1583)4月、利家が金沢に移ると、兄安勝が城代としてこの城に入りました。安勝の死後は子の利好が、利好が死去すると、利家の三男で、利好の養子であった知好が城代となりました。

1597年(慶長2年)利家の次男利政が城代となり、「能登侍従」と呼ばれました。関ヶ原の合戦で利政は戦に参加せず、領地は没収され、能登は兄利長の治めるところとなりました。

元和元年(1615)、一国一城令によって廃城となりました。


公園内にある利家とまつの像。
平成14年のNHK大河ドラマ『利家とまつ』の放映を記念して造られました。

【DATA】七尾市馬出町
     JR七尾駅より徒歩約10分
      駐車場有



●七尾城跡


七尾城は足利一門の有力家臣であった畠山氏の居城でした。築城年代は不明。
難攻不落を誇った山城でしたが、天正5年(1577)、越後の上杉謙信の進攻により落城し、能登畠山氏は滅びました。

天正9年(1581)、利家は信長より能登一国を与えられ、七尾城に入りました。


利家が小丸山城に移った後、七尾城がどのようになったか、定かではありませんが、石垣や土塁がとてもよい状態で残されています。




城山展望台から見た七尾湾。
とにかく見晴らしが良い。

【DATA】
    JR七尾駅から車で約15分
    本丸跡及び展望台に駐車場有

    七尾城跡の麓に「七尾城史資料館」があります(TEL:0767-53-4215)


●山の寺寺院群


前田利家が小丸山城を築城したとき、城の防衛の面から真宗寺院を除く各宗派29ヶ寺を配置したのが始まり。城の西北の丘陵に寺院を配置することで、有事にはそこに立てこもり、陣に転用する目的であったといいます。
現在は16の寺が残されており、「瞑想の道」と称して散策しながら寺々を巡れる遊歩道が整備されています。

【DATA】JR七尾駅から車で5分
       駐車場有
       市内循環バス「まりん号」山の寺下車


《休嶽山長齢寺》
(ちょうれいじ・曹洞宗)


利家の両親である前田利春(利昌)と母長齢夫人の菩提寺です。

利家は越前府中に封じられた時、宝円寺の大透圭徐禅師に帰依し、宝円寺を両親の菩提所としました。
能登に封じられると、大透圭徐禅師を招き、宝円寺を建立し、両親の位牌を安置しました。
その後、宝円寺は利家の金沢移封に伴い、金沢に移ると、七尾の宝円寺を、両親の法名を取って「休嶽山長齢寺」と改称しました。

本堂に併設された宝物殿には、父前田利春、母長齢夫人、利家の次男利政、利家の兄安勝らの画像などが展示されています。

前田利春と長齢夫人の墓


利家の兄安勝(右)とその子利好(左)の墓所


利家と利長の宝篋印塔(供養塔)。遺髪が納められているそうです。

【DATA】石川県七尾市小島町リ部52
       JR七尾駅から車で5分。本堂横に駐車場有
       拝観料400円(大人)
       公式サイト



《本行寺》(ほんぎょうじ・法華宗)

創建は文明年間(1469〜1487)、円山梅雪の草創とされています。
山の寺寺院群の中核に位置し、周囲に堀をめぐらし、堂宇も戦に備えた様式になっているそうです。

前田家の祈願所となり、前田家の関係者による文書が多く残されているそうです。

また、慶長のはじめ高山右近が藩主の許しを得、修道所を建て、南蛮文化の拠点としての役目を果たしました。

禁教下における隠れキリシタンの本懐「ゼウスの塔」などがあり、この寺は隠れキリシタンの寺としても機能していました。


《常通寺》(じょうつうじ・浄土宗)

草創は文安7年(1450)、七尾城主畠山氏の家臣・松本忠成の子忠元によるもの。

古びた山門と参道に植えられた杉木立のコントラストが美しい。


《西念寺》(さいねんじ・浄土宗)

開基は、近江坂本の西教寺(
天台宗)の真盛で、以前は天台宗であったのを承応年間(1652〜1654)に第15世栄長法印が浄土宗に改宗したということです。


《宝幢寺》(ほうどうじ・浄土宗)

以前は真言宗であったのを後に浄土宗に改宗し、宝幢寺と改称したといわれています。

上杉謙信の七尾攻めのとき、七尾方に降伏した上杉方の武将を収容し、この寺で処刑したといわれています。
また、七尾城落城後、長連龍が長家の再興を図って、この寺に身を匿したとも伝えられています。



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