HP「中東経済を解剖する」

2005年5月30日

前田 高行

 

遅きに失したサウジアラビアのWTO加盟

 

目次

1.  はじめに

2.  これまでの経緯

3.  GCCおよびアラブ諸国のWTO加盟状況

4.  サウジアラビア官民の期待と不安

5.  米国の思惑

6.  遅きに失したWTO加盟

 

 

1.  はじめに

 サウジアラビアの長年の悲願であったWTO加盟が漸く実現する見通しとなった。1993年にWTOの前身GATTに加盟申請したが、長い間オブザーバーの地位に据え置かれてきたサウジアラビア政府は1999年から本格的に有力各国と二国間交渉を行いまず日本と妥結した。その後EU及び米国と本格的な交渉に着手した矢先の2001年に9.11テロ事件が発生した。EUとの交渉は何とか妥結に持ち込んだものの、米国はサウジアラビアに対して一層厳しい姿勢を示し両国の交渉は暗礁に乗り上げたままであった。

 

 昨年以降国際的なテロ事件が沈静化しサウジアラビア国内の治安も回復したことを評価した米国政府は、サウジアラビアに対する態度を軟化し始めた。そして今年4月、サウジアラビアの実質的な最高責任者であるアブダッラー皇太子が訪米し、ブッシュ大統領と会談した際にWTO加盟について米国の容認を取り付けた。これにより本年12月に香港で行なわれるWTO総会においてサウジアラビア加盟が承認されることがほぼ確実となった。

 

 GATT加盟申請以来12年越しのサウジアラビアの悲願が達成されることとなったのである。しかしながらこの間、世界の経済環境は大きく変化した。WTOに対する信頼は大きく揺らぎ、各国は二国間の自由貿易協定(Free Trade Agreement, FTA)へと大きく舵を切っているのが現状である。サウジアラビアが盟主を自認するGCC(Gulf Cooperation Council, 湾岸協力機構)においても、バーレーンが米国とFTAを締結、UAE、オマーンもこれに続こうとしている。

 

 WTO加盟については、国内には当初から産業に及ぼすマイナスの影響を懸念する声があり、消極的な反対姿勢を示す民間企業経営者は多かった。本稿ではサウジアラビアのWTO加盟の歴史的経緯および同国官民の期待と不安を分析することとする。

 

 

2.  これまでのWTO加盟協議の経緯

 サウジアラビアは1993年にGATT(関税貿易一般協定)への参加を申請した。1995年にGATTWTO(世界貿易機関)に引き継がれると「オブザーバー」の地位を与えられた。WTOにおいて加盟作業部会(WP)の第一回会合が1996年5月に行なわれたが、交渉に必要な技術的対応が不十分であったため、1998年までは足踏み状態であった。

 

 1999年に入りサウジ政府は積極姿勢に転じ、2000年末までの加盟を標榜して国内各地の商工会議所で民間企業との対話に乗り出す一方、ハイレベルのミッションを米国、EU、日本に派遣した。日本とサウジアラビアの二国間協議は数度の交渉を経て2000年1月にリヤドで合意議事録に署名し、これにより日本はサウジアラビアとの二国間交渉を完了した最初の国となった。なお当時はアラビア石油の利権延長問題について両国政府が最終的な交渉段階にあり、二国間協議の妥結は多分に政治的意味合いが強かったと言えよう。

 

 その後EUとも合意に至ったが、米国との交渉は2001年前半に至るも難航を極めた。米国はサウジアラビア経済の透明性が低いこと、市場開放が進んでいないこと、知的所有権保護が不十分であることなどを指摘したのである。当時すでにGCC6か国中でWTO未加盟国はサウジアラビアのみとなっていたためサウジ政府は焦燥感を高め、法律の整備などを進めて米国の同意を取り付けようとした。

 

 しかし同年9月に発生した9.11テロ事件によりサウジ政府のそれまでの努力は水泡に帰した。テロ事件により米国の政府および国民の間にはサウジアラビアの政治・社会・経済体制に対する懐疑的な見方が広がり、両国関係は急速に冷え込んだのである。その後もサウジ国内で米国人を標的としたテロ事件が発生したため、WTO問題を含めた殆どの外交・経済問題について両国政府の交渉は中断した。結局、本年4月のアブダッラー皇太子訪米による両国首脳会談により漸く事態が進展したのである。

 

 

3.  GCC及びアラブ諸国のWTO加盟状況

 ここでサウジアラビアもメンバーの一員であるGCC(Gulf Cooperation Council、湾岸協力機構)6カ国のWTO加盟状況を見ると、クウェート及びバーレーンはWTO発足時の1995年に加盟しており、また翌1996年にはUAE、カタールが加盟した。そしてサウジアラビアと同じオブザーバーの立場にあったオマーンも2000年に加盟を果たした。今やGCC6カ国の中でサウジアラビアだけが未加盟である。

 

 またアラブ諸国では殆どの国が加盟済みであり、主要な未加盟国はイラン、イラクとサウジアラビアを残すのみとなっている。イラクはフセイン政権崩壊後いち早くオブザーバーとなっている。イランは米国の敵視政策によりオブザーバーの地位すら有していないが、最新の新聞情報ではWTO事務局がイランとの交渉を開始することを決めた、と報じている。

 

 因みに本年2月現在のWTO加盟国数は148カ国に達している。中国も2001年に加盟し、大国でオブザーバーの地位にとどまっているのはロシアとサウジアラビアくらいである。かつてサウジアラビアが加盟申請した時は、WTOメンバーであることが国際的なステータス・シンボルの一つではあったが、今やWTOに加盟することは国際社会のメンバーとして国連加盟と同じ程度に当然のこととされる状況なのである。

 

 

4.  サウジの国内状況と官民の期待と不安

 WTO加盟に対するサウジ国内の状況を一言で言うならば、国際的な地位向上の機会ととらえ加盟に情熱を傾ける政府に対し、民間はこれを冷ややかに眺め或いは陰に陽に抵抗している、と言えよう。官民の温度差がかなり大きいようである。

 

 サウジ政府のWTO加盟の狙いは二つある。その一つは外国の資本と技術を導入して経済の多角化を図り失業問題を解決することであり、二つ目は同国の地位に対する国際的な認知を獲得することである。失業問題についてサウジ政府は公式には失業率を8%程度としているが、実際の失業率は20%あるいはそれを超えるとする民間調査機関もある。また女性の雇用機会が極端に制限されているため殆どの女性が大学卒業後も就職できず家庭内失業状態である。男性・女性を問わずサウジアラビアの若年者失業問題は危機的状況であると言っても過言ではなかろう。このため政府は700万人を下らないといわれる外国人労働者をサウジ人に置き換える所謂「サウダイゼーション政策」を民間企業に強制的に押し付けているが、若者達は外国人労働者が担っている単純肉体労働を忌避しているのが現状である。このため外国の資本と技術を導入により新たな雇用を創出することが喫緊の課題なのである。

 

 これに対して民間はWTO加盟をどのように受け止めているのであろうか。いずれの国においてもWTO加盟のような対外経済開放について国内産業界が反対し或いは引き伸ばしを図ろうと抵抗するのが普通である。サウジアラビアにおいてもそれは同じである。しかしサウジアラビアが他の開発途上国と異なるのは、同国の主力産業は石油及び石油化学のみであり、しかもそれらは最近漸く民間企業が参入したものの未だに殆どが国営或いは公営企業である。サウジアラビアの民間産業部門は流通業、しかも多くが外国製品の輸入業或いは国内販売業であり、また彼らの大半は零細業者である。輸入業者は外国メーカーの独占代理店として政策的に保護されており、中でも日米欧の有力ブランドの代理店となった者が現在の商業財閥(Merchant Family)である。

 

 WTOに加盟すれば輸入代理店に対する独占的な保護が無くなり流通業界は熾烈な競争に巻き込まれる。有力な商業財閥にとっては勢力拡大の大きなチャンスであるが、一方多数を占める零細業者は淘汰の嵐に見舞われる。国内市場の自由化は一般国民にとって輸入品の品質向上・価格低下など多くの恩恵がある。しかしながらサウジアラビアの場合、一般国民の中に多くの零細業者がいることを考えるとWTO加盟が手放しで歓迎される状況とは言い難い。また技術レベルが低い国内製造業も輸出はおろか輸入品との競争にも敗れる結果が目前に迫っている。ここでも外国資本と対等に渡り合える一部の財閥が外国企業の資本・技術により国内製造業を席捲することが考えられる。つまりWTO加盟の結果は一握りの有力財閥による国内産業の寡占化が進み、大半を占める民間零細企業は零落又は有力財閥に従属化することが予想される。国内市場の限られたパイをめぐる熾烈なゼロ・サム・ゲームと言えそうである。

 

 

5.  米国の思惑

 ここにきて米国ブッシュ政権がサウジアラビアのWTO加盟を容認する姿勢に転じたのは何故であろうか。その理由として以下の2点が考えられる。(1)世界の自由経済貿易体制を推進すると言う米国の普遍的な国際経済政策、(2)中東和平ロードマップの一つとしてのサウジアラビアの経済改革支援(或いは介入)の2点である。

 

しかし上記理由に加えて米国には表に出さない別な意図と判断があるように見受けられる。それは(1)豊富な石油資源を有するサウジアラビアを味方に引き込んで、安定した国際エネルギー秩序を構築すること、それは裏をかえせば米国による国際エネルギー秩序の支配でもある。そして(2)サウジ国内における米国企業の地位を更に確実なものとすること、それは日欧企業の進出を押さえ込むことである。

 

そしてWTO加盟容認を政治・外交問題として捉えると更に別な側面も浮かび上がってくる。最近の一連の米国とサウジアラビアの外交交渉を眺めると、そこにあるのはサウジアラビアの「米国への擦り寄り」という図式である。米国自身はWTOに幻滅しており二国間自由貿易協定(FTA)に熱心である。既にバーレーンとFTAを締結、UAE、オマーンとも交渉中である。従って米国にとってサウジアラビアのWTO加盟を容認することは、サウジアラビアに対して恩を売ることになりこそすれ、米国自身は何ら痛痒を感じることではないのである。さらに米国の思惑は、イラク戦争で一度は引き揚げたサウジアラビア国内の米軍駐留を復活することにあると考えられる。現在米軍はカタールに前線本部を設けているが、米国にとってイスラエルを支援し、イラク及びイランに対する監視の要衝としてアラビア半島中央部を占めるサウジアラビアの戦略的な重要性はカタールの比ではない。

 

かつての冷戦時代、サウジアラビアは「米国の51番目の州」と揶揄されていたが、今やそれが再現されつつあると米国は感じているのだろうか。勿論時代は変わり聖地マッカを抱えイスラム教の守護者を自認するサウジアラビアは、イスラムおよびアラブ諸国との関係を重視し米国の言うがままにはならないであろうが、サウジアラビアが最後に頼るのは米国しかないことを何よりも米国自身が確信している。

 

 

6.  遅きに失したWTO加盟

 WTOがシアトル会議、ドーハ会議、カンクーン会議と迷走し続けた結果、多国間一括貿易投資協定に対する幻滅感が世界に広がっている。時代は二国間の自由貿易協定(FTA)が主流になりつつある。そして米国一強時代の中で中東地域についても米国の中東戦略(The Greater Middle East Initiative)が唯一のロードマップになりつつある。湾岸産油国は政治・経済・軍事全ての面において米国頼みの姿勢を隠そうとしない。

 

 サウジアラビアはこのような状況のもとでWTOに加盟しようとしている。元々国内的にはメリットの少ないWTO加盟は、同国にとって国際社会での認知度を高める外交的なシンボルの意味合いが強かったと思われる。しかし今やその意味合いも薄れた。同国のWTO加盟は遅きに失したと言えよう。

 

以上

 

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