(王家の構図―MENAの王族シリーズ・サウド家サルマン一族編)
2003年7月25日
前田高行
落日のサルマン家?
ファハド現国王の実弟でスデイリ・セブンの一員として実力と毛並みの良さを誇り、王位承継の有力候補にも擬せられているサルマン殿下(リヤド州知事)に落日の兆候が見られる。マスコミに登場することもめっきり少なくなり、最近起こったリヤドのテロ事件では実兄のスルタン国防相及びナイフ内相が最前線で犯人逮捕の指揮をとり、サルマン知事は全く顔を見せない。リヤド州の知事としての責任問題も問われかねない状況である。ここ2〜3年のサルマン殿下は二人の子息を相次いで亡くす不幸に見舞われるなど御難続きである。
サルマン殿下の肖像
リヤド州知事のサルマン・ビン・アブドルアジズ殿下は1936年生まれ、今年67才になる。彼はアブドルアジズ初代国王の25番目の息子であり、サウド家の中で今も最大の権勢を誇る「スデイリ・セブン」の6男である。「スデイリ・セブン」とは、アブドルアジズ国王の王妃の一人であるハッサ王妃が国王との間にもうけた7人の王子のことであり、ハッサ王妃の出身がスデイリ族であったことに因んでこのように名づけられたものである。
7人兄弟はいずれも若い頃から優秀であり、また強い結束のもとでサウド家の中で地歩を築いてきた。その結果、長男ファハドは現国王となり、次男スルタンは国防相、三男ナイフが内相をつとめるなど7兄弟のほぼ全員が政府の要職についている。サルマン殿下自身も若くしてリヤド州知事となった。首都リヤドを抱えるリヤド州知事は日本で言えば東京都知事に相当する重要なポストである。彼は兄達とお互いを支えあいながらこの要職を担ってきたのである。
サルマン殿下は母親と同じスデイリ家からスルタナ妃を妻として迎え、12人の息子と1人の娘と言う子宝に恵まれた(世上に流布されたデータによれば王妃はスルタナ妃一人だけである)。サウド家とスデイリ家は緊密な姻戚関係にあり、アブドルアジズ初代国王の二代目は、富と名声を生まれながらにして約束されている所謂「銀の匙をくわえた」王子達である。サルマン殿下はその中でも抜群の毛並みの良さを示しているのである。
彼の12人の息子達も早くから政府の要職に就いた。1954年生まれの長男ファハド王子は32歳の若さで東部州の副知事に任命された。東部州にはアブカイク、サファニアなどの大油田がありサウジアラビア経済の根幹を成す重要な地域である。次男のスルタン王子はアラブ人初の宇宙飛行士として有名であり、現在政府が推進している国内の観光資源開発を総括する観光評議会事務局長をつとめている。因みに彼の妻ハイファはサウド外相の娘である。そして3男アハマド王子はメディアのオーナーとなり、4男アブドルアジズ王子は石油省次官としてアラビア石油の利権交渉の中心人物となった男である。
このように息子達はそれぞれ華々しい活躍をしていたのであるが、ここ2〜3年の間に状況が急激に変化しサルマン家は今その輝きを失いつつあるように見える。
(注)サウド家の姻戚関係については、別稿「サウド家の妃達―スデイリ・セブンとファイサル家の姻戚関係」(MENAの王族シリーズ・サウド家女性編)を参照願いたい。
http://www.infoseek.livedoor.com/~informant/saudi/saudiroyalwomen.htm
落日の兆候その1−二人の息子の早世
先に述べたようにサルマン殿下には12人の息子がある。このうち長男のファハド王子が2001年7月に心臓病のため46歳の若さで死亡した。ファハド王子は1986年から92年まで東部州副知事をつとめた後、皇太子府顧問となった。死因の心臓病が彼の生来の持病であったのか或いは他の王族にありがちな飽食肥満によるものなのか明らかではないが、東部州副知事時代にイラクのクウェイト占領、更には自国の領土であるカフジへの侵攻を含む湾岸戦争があり、戦争直後に副知事を辞していることに、彼の早世の遠因を推測できるかもしれない。
奇しくも翌年の同じ7月に二番目の不幸がサルマン殿下を襲った。三男アハマド王子の死亡である。アハマド王子はSaudi
Research & Marketing Group (SRMG)会長をつとめるビジネスマンであった。SRMG社はアラビア語新聞Sharq
Al-Awsatや英字新聞Arab Newsを発行する有力メディア企業である。これらの新聞はサルマン・リヤド州知事の日常活動を事細かに報道し、彼の人気を盛り立てる役割を果たしていたのである。
サルマン殿下は二人の息子を失い、最近では新聞の紙面をにぎわすことも少なくなった。彼は残された次男のスルタン王子、4男のアブドルアジズ王子及び故アハマド王子のあとを継いでSRMG会長に就任した5男ファイサル王子に一家の将来を託している。このうちスルタン王子は上述のごとく観光評議会議長をつとめ、また王子の妻がサウド外相の娘であることからも今後の活躍が期待される。しかしながら石油省次官の4男アブドルアジズ王子はある出来事をきっかけに将来が危うい気配である。
落日の兆候その2−棚上げされた4男アブドルアジズ王子
サルマン殿下の4男アブドルアジズ王子は1960年生まれである。大学卒業後、石油省(正式には石油鉱物資源省)に入り、若くして次官に登用された。超スピード出世の理由はまさに彼の毛並みの良さにある。サウド家が支配するサウジアラビアでは当然であり、特にスデイリ・セブンの子息であればなおのことである。
彼が次官に登用されたのは90年代後半であるが、丁度その時期は2000年2月に契約期限を迎えるアラビア石油の利権延長問題が山場に差し掛かった時であった。同国では既にサウジ・アラムコ社が米英メジャーの利権を完全国有化しており、アラビア石油のカフジ油田をどのように取り扱うか世界が注目していた。日本政府はアラビア石油の操業継続を希望する強いシグナルを送り続けていた。サウジ政府の中では、サウジ・アラムコを筆頭とする資源完全国有化論の一方、何らかの見返りを条件にアラビア石油の操業継続を認めようとする意見もあった。後者は日本との関係を重視し、また同国近代化のためのビッグ・プロジェクトに日本の技術及び資金協力を引き込もうとする戦略があった。
このような状況下でアブダッラー皇太子は日本との交渉の全権をアブドルアジズ王子に与えたのである。王子は既に数年前からアラビア石油の社外取締役として同社の内情には精通していたため順当な人事と受け止められた。しかし取締役時代にアラビア石油に甘やかされた王子は、この抜擢以降ますます増長するようになった。全権を任された王子は日本側との交渉でアラムコ・トップを無視した。そして時にはナイミ石油大臣をつんぼ桟敷においたままアブダッラー皇太子に直接報告していたこともあったようである。更に功を焦った彼は直接の交渉相手であるアラビア石油を飛び越えて日本政府との直談判に乗り出し、契約延長の反対給付として石油とは全く無関係な鉄道建設の要求を持ち出した。彼はこのことでアブダッラー皇太子の歓心を買い、更に自己の将来の地歩を築こうとしたと考えられる。
しかし総額20億ドルと言われ採算性に疑問のある鉄道プロジェクトに対し日本政府は当初から疑問を持っていた。この時、王子は日本政府が契約延長のためにプロジェクトを受け入れると最後まで信じていたようである。しかしながら結局利権延長交渉は決裂し、2000年2月にアラビア石油は40数年にわたる石油採掘権をサウジアラムコに返上した。アブドルアジズ王子の報告を信じていたアブダッラー皇太子を始めサウジ政府トップは日本側の対応に不信感を抱き、一方日本側には王子の強引で独善的な交渉姿勢がそのままサウジ政府に対する嫌悪感につながり、両者のギクシャクした関係はその後長く続いたのである。
その後、アブドルアジズ王子は石油省の日常的な重要決定ラインから棚上げされ、実質的な失脚状態にあるようだ。勿論スデイリ・セブンの一族である王子をあからさまに冷遇することはできない。彼に与えられたポストは世界石油フォーラム事務局トップと言う名誉はあるが、さほど重要とはいえない地位である。世界石油フォーラムとは産油国と消費国のいわゆる産消対話のために、サウジアラビア、日本などが主唱して結成した組織であり、サウジアラビアが事務局を引き受けている。サウジアラビア政府が王子を棚上げしたのは彼に対する責任追及の結果であろう。またこの事実は交渉が決裂して初めてサウジ政府は、日本政府がアブ同アジズ王子に対して強い不快感を抱いていることに気付き、関係修復のシグナルを送っていると考えられなくも無い。いずれにしても関係者全てにとって不幸な結末であった。
落日の兆候その3−リヤド・テロ事件
ブッシュ大統領が5月1日にイラク戦争の戦闘終結宣言を行ったわずか11日後の5月12日深夜、リヤドの4ヶ所で連続爆弾テロがあり死亡者29人、負傷者百人以上の大惨事が発生した。リヤドの米国大使館は以前からサウジ国内でのテロ活動に対する警戒を自国民に呼びかけており、事件発生はパウエル国務次官の訪問の2日前であった。国際的なテロ組織アル・カイダの犯行と見られ、事件直後からナイフ内相指揮のもとに大々的なテロリスト掃討作戦が開始された。
リヤドではこれまでも何度か爆弾テロ事件があったが、今回はそれまでと比較にならないほどサウジ国民に衝撃を与えた。しかしながら首都の治安担当者であるサルマン・リヤド州知事の責任を問うメディアの声は聞こえない。サウジアラビアのメディアはSRMG社のオーナーがサルマン家である例を引くまでも無く、政府の忠実な代弁者であるため、サルマン知事の責任云々が表面化しないのはある意味で当然のことであろう。ナイフ内相が紙面に頻繁に登場するようになったことに反比例して、サルマン知事の姿が極めて少なくなったことに、スデイリ兄弟の判断が働いているように見受けられる。
しかしサルマン殿下が公式の場から遠ざかっているのは、知事とは異なるもう一つの顔、即ち彼が慈善活動に熱心だったことと関係があるのかもしれない。イスラムの教えの中に「喜捨(ザカート)」というものがある。イスラム教徒の間では金持ちが貧しき者に施しをすることはごく当たり前の美徳である。従って王族は競って私財を寄付する。このシステムが9.11事件以来、欧米政府から厳しい目を向けられている。寄付という名のもとに慈善団体に集められた金がアル・カイダのような国際テロ組織の資金源となっているのではないか、という疑いである。即ちイスラムの名を冠した慈善団体が資金浄化(マネー・ロンダリング)の役割を果たしているという疑惑である。そして実際にいくつかの慈善団体の国際預金口座が封鎖されたのである。
テロ組織への資金援助問題では、サウジ人留学生に贈った奨学金についてバンダル駐米大使夫人でサウド外相の妹でもあるハイファ妃自身が疑いをかけられたほどである。サルマン殿下の幅広い慈善活動にもメスが入ったことは間違いないであろう。殿下自身が直接関与したとは考えられないが、テロ組織に資金が流れなかったと言う確証はない。しかも王族の中には反米テロ活動に同情的な者が少なくないと言われる。
「李下に冠を正さず」のたとえもあり、サルマン殿下としては当面はできるだけ目立たないようにするのが賢明と考えているのだろうか。
以上
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