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HP「中東経済を解剖する」
(
王家の構図―MENAの王族シリーズ・サウジアラビア篇)

2005年8月26日

前田 高行

  

サウジアラビア・サウド家の構図(改訂版)

(要約)

 1982年以来23年間の長きにわたり王位にあったファハド第五代国王が8月1日に亡くなり、アブダッラー皇太子が第六代のサウジアラビア国王に即位した。サウド家は18世紀前半にアラビア半島中央部を支配したサウドを始祖とし、現在の第三次サウド王朝は20世紀始めにアブドルアジズがアラビア半島全域を制覇してサウジアラビア王国(「サウド家が支配するアラビア半島の王国」の意)を建国したことに始まる。このサウド及びアブドルアジズの子孫が現在のサウド家を構成している。

 

 サウジアラビア初代国王のアブドルアジズには36人の息子があり彼らは第二世代と呼ばれている。二代国王のサウド以降現在も第二世代が王位を継承している。第二世代の王子はスデイリ・セブンに代表されるように政府の重要なポストを占めているが、その中でもアブダッラー国王、スルタン皇太子、故ファイサル第三代国王、ファハド前国王の四大家系は強い勢力を有している。また第二世代の子供達である第三世代もその多くが壮年期に達し大臣や知事などの要職についている。

 

 サウド家にとって最も重要な問題は後継者問題である。そのために外戚を含めたサウド一族の有力な家系を網羅した合議体として「王室評議会」が設けられている。サウド家そのものは膨張を続け、今や王族の人数はアブドルアジズの直系だけでも二千人前後に達し、始祖サウドに連なる者を含めると数万人とも言われる。このためサウド家の当主、即ちサウジアラビア国王の後継問題はサウド家とサウジアラビア国家双方の将来がかかった重要な問題である。

 

 

目次

1.  サウド家の歴史

2.  王族の名前と尊称
(1)アラブ人の一般的命名法
(2)サウド家王族の呼称
(3)王族の尊称HRHHH

3.  サウド家の第二世代、第三世代の王族たち
(1)第二世代の概要
(2)現存する第二世代王族の地位・肩書
(3)第三世代の王族とその地位

4.  四大家系
(1)アブダッラー(現国王)
(2)スルタン(皇太子)家
(3)ファイサル(第三代国王)
(4)ファハド(前国王)家

5.  有力外戚(五摂家)

6.  王室評議会
(1)サウド家のマジュリス「王室評議会」
(2)王室評議会の構成
(3)メンバー構成に関する分析

7.  今後のサウド家の諸問題

 

 

1.  サウド家の歴史図1「サウド家系図(始祖〜アブダッラー現国王)」参照

 サウド家の始祖は18世紀前半にアラビア半島中央部のオアシス、ディルイーヤを治めていたサウドである。1725年のサウドの死後、息子ムハンマドはリヤドを含む周辺の部族を征圧した。このとき彼は、アラーの唯一絶対性を説く「サラフィー運動」に傾注していたイスラム法学者ムハンマド・イブン・ワッハーブと盟約を結び、宗教と政治を一体化して勢力を拡大したのである。現在、「サラフィー運動」は「ワッハーブ主義」と呼ばれているが、イスラム教の中でも特に厳格な戒律の「ワッハーブ主義」はその後のサウド家の精神的な支柱となり、20世紀にアブドルアジズがアラビア半島全域を支配してサウジアラビア王国を樹立した後は国家の中枢理念とされたのである。

 

 ムハンマドの孫サウドは19世紀前半にはアラビア半島の支配体制を確立して第一次サウド王朝を樹立した。しかし王朝はオスマン・トルコのエジプト軍の反攻を受け短期間で消滅した。その後19世紀半ばに再びアラビア半島の支配権を奪還し第二次サウド王朝が成立したが、同王朝もオスマン・トルコの支援を受けたラシード家との戦いに敗れ、1891年、サウド家当主アブドルラハマンとその息子アブドルアジズ(後のサウジアラビア王国初代国王)はクウェートに亡命し、サバーハ家の庇護を受けながら捲土重来を期したのである。

 

 1902年、アブドルラハマンの長男アブドルアジズ(通称イブン・サウド「砂漠の豹」)はわずか47名の部下を率いてクウェートから砂漠を縦断してリヤドを急襲しラシード家からリヤドを奪還した。アブドルアジズは1921年にはラシード家を滅ぼしてアラビア半島中央部のネジド地方を制覇し、更に1924年にはマッカ、ジェッダを含む紅海沿岸のヒジャズ地方の領主ハシミテ家を追放してアラビア半島西部地域も支配下においた。因みにハシミテ家はイスラム教の教祖ムハンマドの直系子孫であり、当主フセインは英国の後ろ盾によりオスマン・トルコに対抗して3人の息子をヒジャズ(紅海沿岸)国王、ヨルダン国王、イラク国王とし、自らは「アラブの王(King of Arab)」を名乗っていた(現在ではヨルダン・ハシミテ王国だけが残っている)。

 

 その後、アブドルアジズはアラビア(ペルシャ)湾沿岸のアル・ハサ地方も制圧しアラビア半島全域を支配するに至った。彼は1932年に「サウディ・アラビア王国(The kingdom of Saudi Arabia)」の建国を宣言し、ここに第3次サウド王朝が成立したのである。「サウディ・アラビア王国」とは文字通り「サウド家が支配するアラビア半島の王国」の意味である。

 

 

2.  王族の名前と尊称

 サウド家王族の公式の名前はいずれもかなり長い。そして尊称についてもHRH(His Royal Highness)HHHis Highness)の違いがある。しかしこれらには一定のルールがあり、これを知れば血縁関係や一族内での地位を推測することができる。

 

(1)アラブ人の一般的命名法
 アラブ人は例えば男性ではアブダッラー、スルタン、サウド、アブドルアジズなど名前の種類が少ない。そのため、父親及び祖父の名前を順番に並べ、最後に一族の名前(「姓」に相当)を付けて識別している。このとき名前と名前の間に、男性では「ビン(bin) 又はイブン(ibn)」をおくが、これは「何某の息子」と言う意味である。女性の場合は「ビント(bint)」 (何某の娘の意)を付ける。そして末尾の一族の名前の前には何々家と言う意味の「アル(Al)」を付ける(’Al’は英語の定冠詞 ’The’ に相当する)。この命名法により本人が誰の息子或いは娘であり、さらに祖父の名前及びいかなる家系に属するかが解るのである。

(例1:男性の場合)
    Abdulaziz bin(又はibn) Mohammed bin Turki Al Olayan
     Olayan
家のTurkiの息子Mohammedの息子Abdulaziz
   (Abdulazizの父親名はMohammed、祖父名はTurki、家系はOlayan)

(
2:女性の場合)
   Sultana bint Abdullah bin Naif Al Sudairi
    Sudairi
家のNaifの息子Abdullahの娘Sultana
   (=Sultanaの父親名Abdullah、父方の祖父名Naif。なおSultanaSultanの女性名)

(2)サウド家王族の呼称
 サウド家王族の名前も上記のように表記される。例えばアブダッラー国王の公式名は The Custodian of Two Holy Mosques, H.R.H. King Abdullah bin Abdulaziz bin Abdulrahman Al Saudと表記されるが、これは「二大聖都の守護者でサウド家のアブドルラハマンの息子アブドルアジズの息子、アブダッラー国王」と言う意味であり、アブダッラー国王の父親はアブドルアジズ(初代国王)であり、祖父がアブドルラハマンであることを示している(「二大聖都の守護者」は国王の冠称、H.R.H.については後述)。

 なお、Al Saud(サウド家)と言う名称は狭義と広義の二通りの使われ方があり、狭義にはアブドルアジズ初代国王の子孫のみを対象としているが、広義ではサウド家の始祖サウドに連なる全ての子孫を対象としている。広義のサウド家には現サウド王家以外にもいくつかの有力な血筋が現代まで続いておりAl Jalawi(ジャラウィ家)Al Thunaian(スナイヤーン家)などの家族名がある。これらの傍系親族もサウド家の王族の一員とみなされている。

(3)王族の尊称H.R.H.H.H.
 男子王族のうち初代国王アブドルアジズの直系男子にはHis Royal Highness (H.R.H.)の尊称が付けられ、それ以外の傍系男子王族にはHis Highness (H.H.)が冠せられる。1992年に公布されたサウジアラビアの統治基本法では、王位継承権者はアブドルアジズの直系男子に限る、とされている。このことから名前が新聞・雑誌等に示されたとき、本人が王位継承権を有するか否かは彼の尊称がH.R.H.であるかH.H.であるかで判断できるのである。

 また男子王族、女性王族にはそれぞれPrinceまたはPrincessの称号が付けられる。女性の場合はHer (Royal) Highnessのような尊称は付けられず、直系・傍系の区別無くPrincessの称号が冠せられる。またサウド家に嫁いだ女性にもPrincessの名が冠せられる。例えばアブドルアジズ国王の王妃の一人でスデイリ・セブンの母親であるHassah妃は「Princess Hassah Al Sudairi」と呼称される。

 

 

3.  サウド家の第二世代、第三世代の王族たち

(1)第二世代の概要
 現サウド王朝は初代国王のアブドルアジズを第一世代とし、アブダッラー現国王を含めたアブドルアジズの子供達を第二世代、さらにその子供達(即ち初代国王の孫達)は第三世代呼ばれている。アブドルアジズ初代国王(1880−1953)はアラビア半島内の多数の部族を武力で平定する一方、部族長の息女を王妃とすることにより、他部族との姻戚の絆を深めていった。彼は生涯に26名の女性と結婚し、現アブダッラー国王やスルタン皇太子を含む王子36人と王女27人、合計63人の子供をもうけた。これがいわゆる第二世代の王族である。

 

 アブドルアジズの王妃26人のうち王位継承権者のある男児36人を産んだのは17人であるが、彼女たちの名前と出身部族(又は出身国)及び王子の名前と出生順をまとめたものが図2である。最初の妻Wadhah王妃が産んだ長男トルキは早世したため、次男のサウドが父王の跡を継いで第二代国王となった。その後は第三代ファイサル(3男、母親:Tarfah王妃)、第四代ハーリド(5男、同:Al-Jawharah王妃)、第五代ファハド(9男、同:Hassah王妃)と続き、現国王アブダッラー(10男、同:Al-Fahdah王妃)へと連なっている。このように彼らはすべて母親の異なる異母兄弟であるが、ほぼ兄弟の年齢順に即位している。一部兄弟順が抜けているのは彼らの即位時点で既に年長者が死亡しているか、若しくは自ら即位を辞退したケースがあるためである。

 

 アブドルアジズの7番目の妻Hassah王妃は7人の男児を産んだが、その人数は他の王妃に比べて際立って多い。同王妃はスデイリ家の出身であることから、これら7人の男児はスデイリ・セブンと呼ばれている。彼ら同腹の兄弟は強い結束力を誇り、サウド家の中で大きな勢力を築き上げたのである。長兄のファハド前国王が亡くなった現在もスルタンが皇太子に即位して第一副首相及び国防相を兼務しているほか、ナーイフ内相、サルマンリヤド州知事などが政府の要職を占めている。

 

 アブドルアジズの子孫はこれら第二世代を含め既に第六世代まで誕生している。因みに1999年に刊行された「Family Tree of Saudi Royal Family(Abdulrahman bin Sulaiman Al-Ruwaishid)によれば、アブドルアジズの直系王族の総数は王子788人、王女765人の計1553人である。世代別内訳は次のようになっている。

 

表1

 

第二世代

第三世代

第四世代

第五世代

第六世代

合計

男性(王子)

36

254

353

144

1

788

女性(王女)

27

250

363

122

3

765

合計

63

504

716

266

4

1,553

() 女性(王女)は父親が王子である場合に限られる(王女の子供達は王族とみなされない)

 上記は1999年時点であり、現在ではこの人数はさらに増加しているものと考えられる。何故なら第三世代以降の王子の多くが結婚適齢期に達しており、またサウジ人の平均的な子供の数は5人以上であるため、新世代の出生数が旧世代の死亡者数を大幅に上回っていることは間違いないからである。現在の正確な王族の人数は不明であるが2,000人前後であると考えて間違いなく、王位継承権者である男性王子(HRHの称号を有する)も1,000人を超えているものと思われる。

 

なお、先に述べたように始祖サウドにつながる広義のサウド家の男性も王族の一員(HHの称号を有する王子)とみなされているがその人数については全く不明である。巷間でサウド家王族は数千人或いは数万人と言われるが、前者はアブドルアジズ直系の男子、後者は広義のサウド家の男子のことを指していると考えられる。ただしいずれの人数も根拠に乏しい。

 

(2)現存する第二世代王族の地位・肩書

第二世代の王子36人中で物故した者は9名であり従って27名が今も存命している(推定)。彼らの多くは下記のように政府の要職に就き或いは実業人として活躍している。

 

アブダッラー(9男、81歳)                          国王(兼首相・国家警備隊司令官)

スルタン(15男、75歳)                             皇太子(兼第一副首相・国防相)

アブドルラハマン(16男、74歳)                 国防副大臣

ムッテーブ(17男、74歳)                          公共事業・住宅相

タラール(18男、74歳)                              実業家、ユニセフ(サウジ)会長

バドル(20男、72歳)                                国家警備隊副司令官

ナーイフ(23男、72歳)                             内相

サルマン(25男、69歳)                           リヤド州知事

マジド(26男、68歳)                                 マッカ州知事

アハマド(31男、65歳)                             内務省副大臣

ムクリン(35男、62歳)                             ハイール州知事

 

 第二世代の年齢は、最高齢がアブダッラー国王の81歳であり、最も若いハムード(36男)は1947年生まれの58歳である。存命中の第二世代王族はスルタン皇太子を含め全員王位継承権を有している。しかしながらタラール王子(18男)は、かつて立憲改革を唱えた急進派としてナセル大統領時代にエジプトに亡命した経緯があるため王位継承権は放棄しており、またムサーイド王子(12男)も次男がファイサル第三代国王の暗殺犯であることから王位継承の可能性は無いものと思われる。

 

現在のところ第二世代のうちスルタン皇太子が王位に最も近い。彼に続く有力な後継候補者として世評にのぼっているのはナーイフ内相(23男)、サルマンリヤド州知事(25男)などがあげられているが、彼らはいずれも高齢であり、アブダッラー国王―スルタン皇太子の統治期間が長引けば、王位が第三世代に移行するものと考えられる。

 

(3)第三世代の王族とその地位

 サウド家の第三世代の王子は総数254人に達する(表1参照)。このうちサウド(第二代国王)家の子息が全体の四分の一の53人と最も多く、次いでスルタン(皇太子)家17人、ナーセル家16人、アブダッラー(国王)家15人、バンダル家13人などが子息の多い家系である。その他政府内で有力な地位を占めている家系としてはファイサル(第三代国王)家、ファハド(前国王)家、サルマン家があるが、その子息の数はそれぞれ8名、6名及び12名である。

 

 第三世代にはファイサル外相のように既に60歳を超えた王子もあり、政官界の要職を占めている者も多い。しかし第三世代全体(254人)に占める官職者の比率は第二世代ほどではない。そのため種々の理由で官職の道を閉ざされた王子の中には経済界に進出して名を成した王子もいる。第三世代で政官界及び財界の有力王子を家系別に示すと以下のとおりである。

 

サウド(第二代国王)                 ムハンマド王子                  バーハ州知事

                                              ミシャール王子                   ナジュラーン州知事

 

ファイサル(第三代国王)家           アブダッラー王子                Al Faisaliahグループ会長

ハーリド王子                     アシール州知事

サウド王子                        外相

                                             トルキ王子                         駐米大使、前駐英大使

                           

ファハド(前国王)                   ムハンマド王子                  東部州知事

                                           スルタン王子                     青年福祉庁長官

アブドルアジズ王子           国務相

 

アブダッラー(現国王)家              ムッテーブ王子                  国家警備隊副司令官

 

バンダル家                              ファイサル王子                  カシーム州知事

 

スルタン(国防相)家                 ハーリド王子                      国防省副大臣

                                           ファハド王子                      タブーク州知事

                                           バンダル王子                    前駐米大使

                                           ファイサル王子                  企画省副大臣

                                           トルキ王子                         情報省副大臣

 

タラール家                            ワーリド王子                      Kingdom Holdingオーナー

 

ナワーフ家                           ムハンマド王子                  駐英大使

 

ナーイフ(内相)                  サウド王子                         東部州副知事

 

サルマン(リヤド州知事)      スルタン王子                     観光評議会議長

アブドルアジズ王子           石油省顧問

                                                       

マジド(メッカ州知事)家           ミシャール王子                   ジェッダ市長

                           

 

上記のごとく現状ではファイサル家、ファハド家、スルタン家などの王子に政官界の要職についている者が多い。ファハド家、スルタン家、サルマン家の場合はファハド国王の時代に国王自身の子息を含め国王の同腹兄弟の家系(スデイリ・セブン)を積極的に登用しており、人数が多いのはある意味で当然の結果と言えよう。

 

しかしながらサウジアラビアのような絶対王制国家では国王の交代とともに要職ポストも入れ替わることが多い。そのため名実共に実権を握ったアブダッラー新国王が第二世代及び第三世代をどのように処遇するか今後の動向を注視する必要があろう。

 

 

4.  四大家系:アブダッラー家、スルタン家、ファイサル家、ファハド家

 第二世代の36人の王子にはそれぞれ多くの子供(第三世代)や孫、曾孫(第四、第五世代)があるが、それらの中で有力な家系としてはファイサル家、ファハド家、アブダッラー家、スルタン家、ナーイフ家、サルマン家などをあげることができる。また準有力家系としてはサウド家、タラール家、ナワーフ家、マジド家などがある。ここではそれらのうち今後のサウド家全体の帰趨を左右すると思われるアブダッラー、スルタン、ファイサル、ファハドの四大家系について触れることとする。

 

(注)本項では説明の都合上各系統を「何々家」と呼ぶこととする。但し第二世代のうち公式に「家(Al)」の呼称を用いているのはファイサル家(Al Faisal)のみであり、他の第二世代は全て「Al Saud」である。 例えばファイサル家のサウド外相には、最後に「Al Faisal」がつくが、バンダル前駐米大使(スルタン子息)などファイサル家以外の王子は全て「Al Saud」である。

 

(1)アブダッラー(現国王)家 − 図3「アブダッラー家系図」参照
 アブダッラー国王は1923年生まれで初代国王の10男である。彼は1963年に国家警備隊(National Guard)の司令官、1982年に皇太子兼第一副首相となり、本年8月国王に即位した。今も国家警備隊司令官である。彼は少なくとも5人の女性と結婚しており、子供の数は男15人、女19人計34人である。2番目の王妃Aida妃との間のアブドルアジズ王子は1964年生まれで、アブダッラーの皇太子時代には皇太子府顧問を務めていた(父の国王即位にともない異動が予想される)。

 3番目のAnud王妃との間に生まれたハーリド王子は国家警備隊の元東部地区副司令官であり現在は実業界に転進している。彼の同腹の弟で1949年生まれのムッテーブ王子は父アブダッラーの直下で国家警備隊の副司令官である。

 アブダッラー国王の子息達は国家警備隊の要職以外の官職についている王子がいない。これは後述するファイサル家或いはスデイリ・セブンのファハド家・スルタン家との大きな違いである。理由としては同腹の兄弟がいないアブダッラーはスデイリ・セブンのように濃厚な血縁関係で政府機関の重要ポストを独占するほどの力が無く、またファイサル家のように他の有力王族との婚姻関係で足場を築くことも無かったからである。

 しかし国家警備隊はサウド家に忠誠を尽くす有力部族を中核とするいわば「近衛連隊」であり、質実剛健で部族の絆を重視するアブダッラー国王に対する隊員の信頼が厚いためアブダッラー家にとって国家警備隊は頼もしい存在である。

(2)スルタン(皇太子)家 − 図4「スルタン家系図」参照
 スルタン皇太子は1930年生まれで初代国王の15男である。また彼はスデイリ・セブンの一人であり、故ファハド国王の次弟として早くから政府の要職に就き、1953年に農業大臣兼リヤド州知事になったのをきっかけに1962年国防大臣、1986年に第二副首相に就任し、次期皇太子の座を確実にした。そして実兄ファハド国王の死去に伴い、8月に皇太子に即位したのである。

 彼は6人の女性との間に17人の息子と16人の娘をもうけた。このうち4番目の王妃との間に生まれたのがつい最近まで駐米大使であったバンダル王子(1950年生)である。バンダル王子の駐米大使辞任は世間では唐突に受けとめられたが辞任の真相は不明である。現在は官職についていないが、いずれ中央政府の要職に復帰するのではないかと見られている。

 スルタンと五番目の妻Munira妃には4人の息子があるが、そのうち1950年生まれのファイサル王子は企画省副大臣であり、双子の弟ファハドはタブーク州知事である。また6番目のHajir妃の息子ハーリド(1949年生)は国防航空省副大臣となっている。

 またスルタンはバンダル王子をファイサル元国王の娘(サウド外相の実妹)と結婚させ、或いは娘の一人をファハド前国王の息子ファイサル王子に嫁がせるなど子息や子女を他の有力王族の子女と結婚させ多彩な姻戚関係を築いている。

(3)ファイサル(第三代国王)家 − 図5「ファイサル家系図」参照
 故ファイサル第三代国王は1964年に即位した。在位中は国内の改革に努力し、また対外的には第四次中東戦争で石油戦略(いわゆる第一次オイル・ショック)によりアラブを勝利に導くなど、名君とうたわれたが1975年に甥のファイサル王子(義弟ムサイドの息子)に暗殺された。

 彼は3人の女性と結婚し、8人の息子、10人の娘をもうけた。ファイサルの子供達は優秀な王子が多い。Sultana妃との間の息子アブダッラー王子(1921年生)は父の残した遺産をもとにファイサル基金を設立して社会活動を行うほか、Al-Faisaliah Groupと称する企業グループを作り上げた。同グループはソニーの総代理店と知られ、またサウジ最大級の旅行会社STTB社など多数の企業から成り、グループの売上高はサウジ国内13位の巨大コングロマリットである。アブダッラーの息子或いは孫達がグループの要職を占めている。
*詳細は「サウジアラビア財閥シリーズ5 アル・ファイサリア・グループ」参照

 ファイサルの3番目の妻Iffat妃は5人の息子と3人の娘を産んだが、息子達は政府の要職につき、また娘達は他の王族に嫁がせている。長子のムハンマド(1937年生)はイスラム銀行総裁であり、次子のサウド(1941年生)は1975年以来外相をつとめている。またトルキ王子(1945年生)は中央情報局長官から駐英大使に転じ、今年バンダル王子の後任として駐米大使に任命された。またHaifa王女は既に述べたようにスルタンの子息バンダル前駐米大使の妻である。このようにファイサル家のうちIffat妃の子供達は特に外交分野で枢要な立場にある。

(4)ファハド(前国王)家 − 図6「ファハド家系図」参照
 アブドルアジズ初代国王の9男ファハド前国王は早くから閣僚に登用され、1953年に教育大臣、1963年には内務大臣となった。その後1975年に皇太子となり1982年に国王に即位、本年8月に82歳で亡くなるまで23年間にわたり王位にあった。在位後半の1995年以降は病気のため実権をアブダッラー皇太子(現国王)に委ねたが、皇太子・国王時代を通じ同腹の兄弟(いわゆるスデイリ・セブン)と共に国家の要職を独占し強大な権力を握った。そして自分の息子達にも重要なポストを与えたのである。

 ファハドにはAl-Anud妃、Jawza妃及びJawhara妃との間に6人の息子と4人の娘がある。アブダッラー、スルタン、ファイサル各家に比べて子供の数は少ないが、皇太子・国王の在任期間が長かったため殆どの息子を重要なポストにつけることができた。長男のファイサル王子は長らく青年福祉庁の長官を務めたが1999年に45歳の若さで死亡した。長官ポストはファイサルの同母弟スルタン王子(1951年生)が継ぎ、また副長官はファイサルの息子(ファハドの孫)ナワーフ王子である。

 Jawza妃の息子ムハンマド(1950年生)は東部州の知事をつとめている。アラビア湾に面した東部州は油田地帯としてサウジアラビア経済の鍵を握る最も重要な州であり、首都のリヤド州(知事はファハド実弟サルマン王子)、マッカ及びジェッダを擁する宗教・経済の中心マッカ州(知事はマジド王子)と並ぶサウジアラビア三大州の一つである。リヤド、マッカの州知事が第二世代であるのに対し東部州のムハンマド王子は第三世代であり、彼のほかにも第三世代の知事は数人いるものの、ファハドによる息子ムハンマドの重用のほどがわかる。

 ファハドによる息子の抜擢はJawhara妃との間に生まれたアブドルアジズ王子(1971生)を20代の若さで国務大臣に任命したことにも表われている。晩年になってから生まれた同王子をファハドは寵愛し、一時は自分の後継国王とすることを考えていたと言われるほどであった。

 

 因みに上記四大家族のタイプを一言で表現するとすれば次のように言えるであろう。

アブダッラー家=  国家警備隊中心・有力部族掌握型

スルタン家=       国内治安組織掌握型、姻戚関係重視型

ファイサル家=    実業・外交型、姻戚関係重視型

ファハド家=        親の七光り型

 なおスルタン家とファイサル家の説明の中でも触れたようにサウド家一族には同族結婚が非常に多いようである。これは第二世代、第三世代間の結婚に限らず、サウド家の外戚(始祖サウドにつながる広義のサウド家の一族、次項で詳述)との婚姻まで含めると殆どの王子、王女が同族結婚しているものと思われる。

*サウド家の姻戚関係については「MENAの王族シリーズ・サウド家女性篇 サウド家の妃達―スデイリ・セブンとファイサル家の姻戚関係」参照

 

 

5.  有力外戚(五摂家) (図1参照)

 冒頭で述べたように「サウド家」には狭義・広義の二通りの意味がある。「狭義のサウド家」とは、第三次サウド王朝の開祖アブドルアジズ初代国王の子孫であり、「広義のサウド家」とは、始祖サウドにつながる一族全てのことである。いずれも「Al Saud」を名乗り、王子、王女の尊称を有するが、大きく違うのは「狭義のサウド家」の王子はH.R.Hの尊称を持ち王位継承権を有するのに対し、「広義のサウド家」の王子はHHの尊称を持つが王位継承権は無いことである。(第2項参照)

 

 有力な外戚としては五つの家系があり「五摂家」とも言うべき存在である。五摂家は大きく二つのグループにわけることができる。一つは始祖サウドの息子達である。長男ムハンマドは現在のサウド王朝につながる家系であるが、彼の弟3人はそれぞれ「スナイヤーン家」、「マシャーリ家」及び「ファルハン家」を興して今日に至っている。また第二次サウド王朝を開いたファイサルの弟二人が「ジャラウィ家」及び「トルキ家」を名乗っている。

 これら五摂家はサウド家一族の運命共同体であり、現サウド王朝の第二世代、第三世代との婚姻関係を通じて今も緊密な関係を保っている。かれらは後継者問題などサウド家内部の問題を話し合う「王室会議」(次項参照)のメンバーにもなっている。また以下のように政府の要職者もいる。

スナイヤーン家サウド王子         ジュベイル・ヤンブー王立委員会(Royal Commission)総裁

トルキ家アブダッラー王子          前総合投資院(SAGIA)総裁

 

 

6.  王室評議会

(1)               サウド家のマジュリス「王室評議会」

アラブ・ベドウィンの部族社会では部族長が絶対的な権限を有しているが、他の部族との戦争・和平など重要な決定には、部族長が「マジュリス」と呼ばれる合議体の意見を聞くことが慣習となっている。「マジュリス」は部族の長老や有力者で構成されており、構成員の間では地位、年齢にかかわりなく平等である。部族長が死亡したときの後継者も「マジュリス」で決定される。

 

サウド家の場合、第三次サウド王朝が成立し、外交・内政・経済等の重要事項は内閣を頂点とする立法・行政組織で処理される。このため現在ではサウド家の「マジュリス」は一族内部の問題を処理する私的な役割に限定されている。しかし一族の後継者選定問題はサウド家の「マジュリス」の最も重要な問題である。

 

国家としてのサウジアラビアは「サウド家の支配するアラビア半島の王国(The Kingdom of Saudi Arabia)」であり、サウド家の後継者は即ちサウジアラビア国王である。このためサウド家の後継者の選定は単なる一族の私的な問題ではなく、国家そのものの重要問題なのである。しかしながら始祖サウドにつらなるサウド家の王族は今や膨大な人数に達し、アブドルアジズ初代国王の子孫(男子)だけでも2千人前後であり、外戚までふくめると数万人と言われている。このため「マジュリス」のメンバーを誰にするかと言うこと自体が大きな問題となってきた。

これを明文化したのが2000年5月に設立された王室評議会(Royal Family Council)である。

 

(2)               王室評議会の構成

 王室評議会は以下の18名の王族で構成されている。

          氏名                肩書                家系                                       世代

議長:    アブダッラー       国王                サウド家                                  第二世代

副議長: スルタン            皇太子             サウド家(スデイリ系)                 第二世代

議員:    ミシャール          州知事             サウド家(父:サウド元国王)         第三世代

        ハーリド            州知事             サウド家(父:ファイサル元国王)    第三世代

        ファハド                                 サウド家(父:ムハンマド王子)       第三世代

        アブダッラー                           サウド家(父:ムハンマド王子)       第三世代

バンダル           (実業家)          サウド家(父:ハーリド元国王)       第三世代

        ムハンマド         州知事             サウド家(父:ファハド国王)           第三世代(スデイリ系)

        タラール            (実業家)          サウド家                                   第二世代

        バドル              国家警備隊副長官 サウド家                              第二世代

        サルマン           州知事             サウド家(スデイリ系)                 第二世代

        バンダル                              サウド家(現国王の従兄弟筋)                 

        アブドルラハマン                     サウド家(同上)            

ムハンマド                               ジャラウィ家

        ファイサル                                トルキ家

        サウド                                     スナイヤーン家

        アブダッラー                              マシャーリ家

        アブダッラー                              ファルハン家

 

評議会メンバーのうちアブダッラー国王からサルマン(リヤド)州知事まで11名が初代国王の直系男子(即ち王位継承権者)であり、バンダル、アブドルラハマンの2名は現国王など第二世代の従兄弟であり、つまり分家筋に当たる。またジャラウィ家、トルキ家、スナイヤーン家、マシャーリ家、ファルハン家の五摂家からも一人ずつメンバーに加わっている。

 

(3)メンバー構成に関する分析

王室評議会のメンバーにはサウド家(狭義)とその分家・外戚(広義のサウド家)まで幅広く任命されており、一族の微妙なバランスを考慮して、それぞれに一定の発言力を与えようとしていることがよくわかる。1992年に制定された国家基本法によりサウジアラビア国王はアブドルアジズの直系男子子孫による世襲とされたため、分家筋及び外戚筋の王族の王位継承権は否定されたが、王室評議会でこれら分家及び外戚から7名をメンバーに選出したことはサウド家全体の安定を図るための配慮であると考えられる。

 さらに初代国王の直系子孫についてもいくつかの配慮がなされている。第一の点はアブダッラー現国王以前のサウド、ファイサル、ハリドおよびファハドの各国王の子息がメンバーに加えられていることであり、第二はファハド国王の子息ムハンマド東部州知事をはじめ第三世代の王子6名が選出され、王位継承問題を含む王室会議での第三世代の発言力が確保されていることである。

 現国王と同世代の第二世代についても5名の王族が指名されている。アブダッラー国王、スルタン皇太子、サルマンリヤド州知事、バドル国家警備隊副司令官のような現政権を支える有力者が選出されていることは当然として、タラール王子のように王位継承権を放棄した王族がメンバーに加えられていることも重要な意味を持つと言えるであろう。

アブダッラーは8月に国王に即位したばかりであるが既に81歳の高齢であり、スルタン皇太子も75歳である。サウド王家は確実に世代交代の時期を迎えているのである。王族達は王位継承が円滑に行なわれることがサウド家及び各王族自身の安泰につながることを十分自覚している。サウド家王政に反対する勢力を勢いづかせないためにも、また西欧的民主主義の実現をサウド王政に求めている西欧各国に対抗するためにも、サウド家にとっては王族間の内紛を防ぐこと、或いは多少の内紛があるとしてもそれが表面化する醜態を避けることが何よりも重要であり、王室会議がその役割を担うものとして期待されている。

 

 

7.  今後のサウド家の諸問題

 既に何度か触れてきたようにサウド家第二世代の存命者はアブダッラー国王の81歳を筆頭に高齢化している。これに対して第三世代は64歳のサウド外相、60歳のトルキ駐米大使(共にファイサル家出身)、56歳のムッテーブ国家警備隊副司令官(アブダッラー家出身)、55歳のバンダル前駐米大使(スルタン家出身)、45歳のムハンマド東部州知事(ファハド家出身)など働き盛りの年齢である。第二世代にもサッターム(62歳、リヤド州副知事)、ムクリン(62歳、ハイール州知事)のように第三世代とほぼ同年齢の王子が活躍しているが、いずれにしても世代交代の時期が近いことは間違いない。

 

 さらに既に第六世代まで誕生している第三次サウド王朝の王族の人数はネズミ算式に増えている。彼らには王室費の中から一時金または年金が支払われている。王室費の内容は厚いベールに閉ざされ外部からは窺い知れないが、王室財政はかなり逼迫しつつあるものと推測され、近い将来若い世代の王子達には自活を促すなど王室費の増加を食い止める何らかの対策が必要と思われる。

 

 また最も大きな問題である後継者問題についても継承に関する新たなルール作りが必要ではないかと考えられる。これまでは第二世代の兄弟間で王位を継承してきたが、第三世代に移行する場合には継承者の決定基準が問題になる。

 

 日本や英国の例を持ち出すまでもなく君主制度の国の継承ルールは直系・長子相続が原則である。君主が亡くなった時に王位をめぐって兄弟親族が血で血を争う抗争を繰り広げた事例は歴史上枚挙に暇が無い。直系・長子継承の原則はそのような歴史的事実に基づいて作り上げられたルールだと言えよう。

 

 サウド家の場合サウド第二代国王以下アブダッラー現国王及びスルタン皇太子に至るまで第二世代の王子が王位を継承しており、しかもそれぞれ前国王が亡くなった時点で皇太子が新国王に即位するとともに、王子の中で最も年齢の高い者を皇太子としている。第二世代による継承がスルタン皇太子の後も続くか否かは予断を許さず、第三世代の王子への継承が近い将来の問題であることは間違いない。その場合どの家系を選ぶかは非常に難しい問題であり、対応を誤れば王室内の不和が増大し王家の弱体化、さらには崩壊にもつながりかねない。

 

それでは果たしてサウジアラビアの場合に他国のような長子相続ルールを新たに導入することは可能であろうか。そのためにはまず第二世代の王子36人の中から王位継承家系を絞込むことが必要であり、さらには長子相続ルールについてサウド家全体の同意を得ることが必要になる。かつてファハド前国王が寵愛する末子のアブドルアジズ王子を将来の国王に強く期待したことがあった。当時20代であった王子は異例の国務大臣に抜擢され閣僚に名を連ねた。しかしアブドルアジズ王子は今も国務大臣にとどまっているものの、アブダッラー新国王体制下ではもはや彼を将来の国王候補と考える者はいない。王位継承家系の絞込みと長子相続制の導入は非常に微妙で解決困難な問題である。

 

マジュリスを明文化した王室評議会は構成員のコンセンサスを基本とした会議である。コンセンサス作りはアラブ民族そしてベドウィン部族の伝統であり、彼らはこれをアラブ民主主義とみなしている。マジュリスが民主主義の一つであることは間違いないが、王室評議会はサウド家のみによる閉鎖的な会議であり、しかも評議員の選任基準、意思決定プロセス等が明らかでない。サウジアラビアの最高指導者である国王の選任がこのような不透明な組織に委ねられているため、意思決定に参画できない王族達の不満は避けられないであろう。

 

王位継承をこれまで通り一部の有力家系による王室評議会によって決定するのか、それとも直系・長子相続と言う単純明快なルールを導入するのか、サウジアラビアは難しい選択を迫られている。それは王室評議会の議長でもあるアブダッラー国王の決断次第と言える。但しアブダッラー国王はコンセンサスを重視し急激な改革を望まないため、現状のままで問題を先送りする可能性が大きい。

 

以上

 

 

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