(王家の構図―MENAの王族シリーズ・クウェート篇)
2005年10月3日
前田 高行
クウェート・サバーハ家の構図(改訂版)
(国民に人気無く脆弱な体質の首長家)
(要約)
サバーハ家のクウェート首長としての地位は18世紀半ばに同じ商人仲間から互選されたことに始まる。そして宗主国のオスマン・トルコから、クウェートはイラク・バスラ州の一部と認定された。この二つの点が内政・外交におけるサバーハ家の立場を脆弱なものとしている。
現在のサバーハ家はムバラク第7代首長の系統であるが、その中ではムバラクの長男ジャービルと次男サリームの系統が交互に首長を継承しており、現首長はジャービル系、皇太子はサリーム系である。首長、皇太子は共に病弱であり首長の弟サバーハ首相が国政を取り仕切っている。王族閣僚はジャービル系が多く、皇太子のサリーム系は凋落しており、最近ではサバーハ家の内紛の有無が取り沙汰されている。
サバーハ内閣は国会との摩擦が絶えず、また有力財閥との関係も冷え込んでいる。このため国政が停滞している。また国民のサバーハ家に対する信頼感も欠如しており、湾岸戦争がそれを一層助長した。
サバーハ家には統治者としてのnoblese oblige(高い身分に伴う義務)があるが、首長、皇太子はその義務を十分に果たしていないように見受けられる。
豊富な石油埋蔵量、石油価格の高騰により将来のクウェート経済に問題は見られない。しかし一般国民の間に国家に対する忠誠心や支配者に対する敬愛の念が希薄なことはサバーハ家にとって大きな問題である。
目次
1. サバーハ家の歴史
2. サバーハ家の特殊な立場
3. 現在のサバーハ家
(1)ムバラク第7代以後の首長・皇太子
(2)家系別の有力王族
(3)クウェートにおける王族閣僚の特徴
4. サバーハ家が抱える諸問題
(1)首長・皇太子の健康問題
(2)二大家系の後継者争い
(3)国会・有力財閥との摩擦と国政の停滞
(4)国家及びサバーハ家に対する国民の信頼感の欠如
5. サバーハ家の将来
1. サバーハ家の歴史(図1「サバーハ家系図1(初代首長〜現首長)」参照)
クウェートの起源はアラビア半島内陸部にいたサバーハ家等のオネイザ族の数家族が18世紀初頭に現在の地に定住したことに始まる。当時のクウェートはコンスタンティノープル(現イスタンブール)を首都とするオスマン帝国領土の最南端、ペルシャ(アラビア)湾に面した寒村に過ぎなかった。しかしここはインド亜大陸更には中国との海上交易、即ち「海のシルクロード」の玄関口であったため、彼等は中継貿易の商人として力を蓄えていった。
オスマン帝国の収奪に苦しんでいた商人たちは結束して交渉する必要を感じ、1756年、リーダー格であったサバーハ家を初代クウェート首長に互選した。首長職は名誉ではあったが、オスマントルコ政府との交渉役は決して楽では無く損な役回りであったはずである。そこで商人たちはサバーハ家を財政的に支える形で、サバーハ家はこれ以後政務に専念した。こうしてサバーハ家が代々首長職を世襲してクウェートを統治する現在の体制が出来上がった。そして1871年にはオスマントルコからカーイマカム(総督)の称号が与えられ、クウェートはイラクのバスラ州の一地区として承認されたのである。
その後も宗主国オスマントルコはクウェートに様々な干渉を行ったため商人として自立精神の高かったクウェートはこれに不満を抱いた。そして第7代首長のムバラクは、当時オスマントルコ弱体化の間隙をついてインド洋からペルシャ(アラビア)湾へと進出しつつあった大英帝国に助けを求めたのである。彼は1899年に英国と協定を結び、英国に外交権限を委ねることと引き換えに、英国がムバラク及びその後継者を支援する約束を取り付けた。これによりクウェートは英国の保護領となったが、英国の軍事支援はその後の周辺国の侵略に対しクウェイトが独立を維持する上で非常に重要なものであった。彼はアル・カビール(大首長)の称号を授けられ、1915年に亡くなった。現在のクウェート国憲法では首長及び皇太子はムバラクの直系男子と定められており、その意味でムバラクは現サバーハ家の開祖とも言える。
2.サバーハ家の特殊な立場
前述のようにサバーハ家は当時の有力商人達の互選によりクウェート首長になり、また同国はイラクのバスラ州の一部とされたことが、その後クウェートが内政及び外交に抱える問題の遠因となっていることを見逃してはならない。
まず内政について言えば政権の成り立ちが他のGCC諸国と異なっていることである。サウジアラビアのサウド家を始め他のGCC各国は例外なく武力により他の部族を制圧して権力を掌握している。これに対しサバーハ家は有力商人の互選で選ばれた民主的な政権なのである。この民主制はその後のクウェートの政治体質となり、同国がGCCでもっとも早く議会制度を確立したことはその現れである。しかしその反面サバーハ首長家は強い権力基盤を持たないため、首長家と議会が頻繁に対立する不安定な状態を作り出しているのである。
また外交面について言えばクウェートはオスマントルコによりイラクのバスラ州の一部とみなされたため、第一次大戦後イラクがオスマントルコから独立すると、イラクは英国の保護領であるクウェートの併合を主張したのである。これに対してクウェートは完全独立を目指し、英国の支援を得て1961年に独立国家となった。しかしイラク側の為政者に限らずイラク国民の中にもクウェートがイラクの一部であると考える者は少なく無い。1990年にフセイン大統領(当時)が国際秩序を無視してクウェートを占領したいわゆる湾岸戦争はまさにその現れなのである。
このようにサバーハ家は商人階級出身であり、国家的支配権を確立する原動力が武力或いは宗教ではなかったため、いわゆる「建国伝説(legend)」と言うものを持たない。これはサウジアラビアのアブドル・アジズ初代国王、或いはイランのホメイニ革命が両国国民の中に「建国伝説」を植え付けたことと大きく異なる。さらにクウェートが英国を後ろ盾で独立し、また湾岸戦争も米英を中心とする多国籍軍の力で領土を回復している。このため国民の間にはサバーハ家に対する忠誠心や信頼感が希薄であり、同時に周辺国もサバーハ家の「支配の正統性(legitimacy)」を軽視しているのである。
つまりクウェートはサウジアラビアやイランなど周辺国から軽んじられているのが現実である。これを裏返しに見るとサバーハ家はイラク、イラン、サウジアラビアなど周辺の大国に自身の安全が脅かされるのではないかと言う強い警戒心或いは恐怖心を常に持っているように見受けられる。そして国内的にはクウェート民間経済の中心となっている他の有力商人達、即ち現在の民間財閥はサバーハ家がこれ以上強くなることを望まず、従って正規軍或いは親衛隊を問わず強い兵力を持つことを許さないのである。
その結果、サバーハ家は周辺大国に対して常に中立的な善隣外交に徹し、また貧しい近隣国には気前の良い援助外交を行ってきた。それと同時に英国、米国はもとより米ソ対立時代のソ連、更には中国などとも軍事協力協定を締結し、国際的には八方美人の外交政策をとってきたのである。そして米国一強時代の現代では同じイスラムの周辺国に気を使いつつも全面的に米国に依存する他は無いのである。
このようにサバーハ家は内政・外交とも極めて脆弱な基盤に立っていると言えよう。
3. 現在のサバーハ家の首長・皇太子及び有力王族について
(1)ムバラク第7代以後の首長・皇太子(図1「サバーハ家系図1(初代首長〜現首長)参照」
現在のサバーハ家のルーツであるムバラク第7代首長にはジャービル、サリーム、ナシール及びハマドの4人の息子がいた。クウェート憲法は首長及び皇太子はムバラクの直系男子と定めているが、ムバラク以後の首長は長男ジャービルと次男サリームの系統がほぼ交互に即位している。即ち第8代はジャービル、第9代はサリームがそれぞれ首長となり、第10代はジャービルの息子アハマド、そして第11,12代はサリームの息子達が継いだ。そして現在の第13代首長ジャービルは第8代ジャービル首長の孫であり、皇太子は第9代サリーム首長の孫である。
(2)家系別の有力王族(図2「サバーハ家系図2(Mubarak Al Kabirとその子孫)参照」
上記のように現在のサバーハ家はジャービル、サリーム、ナシール及びハマドの四つの家系があり、中でもジャービル、サリームの両家系は交互に首長を輩出する最有力家系である。閣僚、州知事の主要ポストも二家系の出身者が多いが、ハマド家系及びナシール家系の王族もこれまで重要ポストに任命された実績は多い。
首長、皇太子及び閣僚王族を各家系別にあげると次の通りである。
A ジャービル系
・
ジャービル (HH Sheikh
Jaber Al-Ahmad Al-Jaber Al-Sabah)
現首長(第13代)。アハマド第10代首長の3男で1928年生まれ。1959年財務局長官(1962年独立とともに初代財務・経済相に就任)。1965年首相。1966年皇太子即位。
1977年12月31日第13代首長に即位。
・
サバーハ (HH Sheikh
Sabah Al-Ahmad Al-Jaber Al-Sabah)
首相。ジャービル首長の次弟。1929年生まれ。1963年外相、1965年財務相兼石油相代行、1998年第一副首相兼外相。2003年首相就任。
・
ナワーフ (Sheikh
Nawaf Al-Ahmad Al-Jaber Al-Sabah)
第一副首相兼内相。ジャービル首長の次々弟。1937年生まれ。1978年 内相、1990年国防相。
・
アハマド (Sheikh
Ahmad Fahd Al-Sabah)
エネルギー相。アハマド第10代首長8男ファハド(湾岸戦争で戦死)の子息(即ち上記3名の甥)。1963年生まれ。2001年情報相兼石油相代行。クウェートサッカー協会会長。現OPEC議長。
・
アハマド (Sheikh
Ahmad Al-Abdullah Al-Ahmad Al-Sabah)
通信相兼運輸・企画相。アハマド第10代首長の長男アブダッラーの子息。1952年生まれ。米国イリノイ大学で銀行・金融を学び1976年卒業。1978年クウェート中央銀行勤務。1998年商業相。
・
ナシール (Shaikh Nasir
Muhammad Al-Ahmad Al-Jabir Al-Sabah)
国務相・Amir Diwan担当。故ムハンマド元国防相(アハマド第10代首長の次男)の子息。
・
B サリーム系
・
サード (HH Sheikh
Saad Al-Abdallah Al-Sabah)
現皇太子。アブダッラー第11代首長の長男で1930年生まれ。1954年英国Handen Police College卒。警察・公安局長を経て1962年内相就任。1978年1月皇太子、同年2月首相就任。2003年7月首相辞任。
・
ムハンマド (Sheikh
Muhammad Sabah Al-Salem Al-Sabah)
外相。サバーハ第12代首長の子息(即ち皇太子の従兄弟)。1955年生まれ。カリフォルニアClermont大学卒、ハーバード大経済学PhD修得。1979-85年クウェイト大学勤務。1993年駐米大使。2001年外相就任。
C ハマド系
・
ジャービル (Sheikh
Jaber Mubarak Al-Hamad Al-Sabah)
副首相兼国防相。1948年生まれ。元アハマディ州知事。社会問題相、情報相を経て2001年副首相兼国防相就任。
(3)クウェートにおける王族閣僚の特徴
クウェート内閣におけるサバーハ家の王族閣僚は上記の通りであるが、そこにはいくつかの特徴が見られる。まず第一の点はジャービル系統の閣僚が他の系統を圧倒していることである。即ち現王族閣僚7人のうち5人(首相、副首相兼内相、通信兼運輸・企画相、エネルギー相、国務相)がジャービル系であり、サリーム系及びハマド系は外相及び副首相兼国防相の各1名にとどまっている。過去の例を見ると首長を輩出したジャービル系及びサリーム系の閣僚の数はほぼ同数であった。しかし現在はジャービル系が圧倒的に多い。
第二の特徴はジャービル系がジャービル首長とサバーハ首相と言う国家と国政の最高権力者の二つのポストを独占していることである。実はクウェートではこれまで皇太子が首相を勤めるのが慣例であった。即ち国家の最高権力者としての象徴的な首長の地位と、実務の最高権力者としての首相の地位をジャービル系とサリーム系で分け合うことにより両系統のバランスを保ってきたのである。実際サード皇太子も1978年の皇太子即位と同時に首相に就任している。しかしながら彼は2003年に健康上の理由により首相を辞任しジャービル系のサバーハと交替している。このように最近はサリーム系の勢力の凋落が顕著である。
第三の特徴としては上記リストだけでは解らないが、実は閣僚に占める王族の人数がバーレーン(9人)、カタール(14人)、UAE(10人)など他のGCC諸国に比べて少ないのである。これはサバーハ家がクウェート首長家になった経緯と関係がある。つまり他の3カ国は部族闘争により権力を掌握しており、閣僚と言う国家の中枢ポストを容易に独占することが出来たのに対し、民主的に選ばれた国会を有するクウェートでは、サバーハ家が閣僚ポストを独占することが出来ないのである。と言うよりは国会との厳しい対決を迫られる閣僚は他のGCC諸国ほど安定した地位とは言えず、そのためむしろテクノクラートを登用して首長家に対する防波堤の役割を期待している節もある。
4.サバーハ家が抱える諸問題
サバーハ家がクウェート首長となった経緯及びクウェートが国家として独立した経緯そのものにサバーハ家の根源的な問題があることは上述の通りであるが、現在のサバーハ家はその他にも以下のようないくつかの問題を抱えている。
(1)首長、皇太子の健康問題
(2)ジャービル(現首長)系の勢力の拡大とサリーム(現皇太子)系の凋落がもたらす二大家系の後継者争い
(3)国会及び他の有力財閥との摩擦とそれによる国政の停滞
(4)国民の国家及びサバーハ家に対する信頼感の欠如
(1)首長、皇太子の健康問題
ジャービル首長はかなり以前から病弱であり、手術のため度々米国の病院に入院している。一方、サード皇太子は1978年以来首相として首長を補佐し反サバーハ勢力の国会と対峙していたが、彼自身も健康を害し2003年には首相を辞任した。
国家のNo.1とNo.2である首長と皇太子が共に病気がちである。Alan Rash著の「Al-Sabah, History & Genealogy of Kuwait’s Ruling Family 1752-1987」を見るとサバーハ家一族は殆ど血族結婚である。一例をあげればサード皇太子の父親と母親はいとこ同士で、また彼の妻は彼自身のいとこなのである。このような例は枚挙にいとまがないが、血族結婚と病弱な体質に何らかの因果関係があることも考えられる。
(2)二大家系の後継者争い
クウェート首長はこれまでジャービル系とサリーム系で交互に輩出している。現在もジャービル系のサバーハ首長に対しサリーム系のサードが皇太子であり、よほどのことが無い限り次期首長はサード皇太子であろう。そしてその場合の次期皇太子はジャービル系のサバーハ現首相と見るのが妥当である。しかしサバーハ以降は複雑な様相を呈している(後継者問題は次章でもうすこし詳しく触れる)。
その一つはジャービル系の勢力が最近とみに強くなる反面、サリーム系の力が低下していることにある。更に付け加えるならば、現在の首長、皇太子は第7代ムバラク首長の曾孫であるが、既にムバラクの4人の子息の家系も多数に枝分かれし、王位継承権者を持つ王族はかなりの人数にのぼる。彼ら王族は利害が必ずしも一致するとは考えられず、これまで通りジャービル系とサリーム系による首長の交替を容認するかどうかは不明である。最近のKuwait Timesが、国会議員の発言としてサバーハ家の内紛説を報道していることは興味深い。
(3)国会・有力財閥との摩擦と国政の停滞
国会はサバーハ家にとって最大の難関である。クウェートの国会は25の選挙区から各2名、合計50名で成り立っている。普通選挙ではあるが選挙権の資格は極めて限定されており、1959年の国籍法公布以前にクウェートに居住していた者またはその直系子孫の男子に限られている。女性は最近ようやく選挙権が認められ次回2007年の国政選挙から投票ができるようになったばかりである。従って2003年に行われた選挙の有権者数は14万人弱にすぎず、クウェートの総人口250万人、うち外国人出稼ぎ労働者を除く純粋のクウェート人81万人と言う数字と比べても、有権者の数がいかに少ないかがわかる。従って選挙での当選者の得票も、2003年選挙では最低652票であり、日本で言えば市町村議会選挙レベルである。
このような選挙であれば当然各選挙区の地元有力者や宗教的指導者が有利になり全国レベルで政策を争う近代国家の選挙とは程遠いものがある。従って選ばれた議員たちも天下国家を論じると言うよりも支持母体の利益誘導に精力を注ぎ、また社会問題や女性問題では不毛な宗教論争に明け暮れることとなる。そして彼ら議員にとって格好の攻撃対象は行政を支配するサバーハ内閣なのである。こうして議会による内閣不信任案とそれに対抗した内閣による議会解散が繰り返される結果、国政は停滞するのである。しかし財政は石油によって潤っているため国政の混乱・停滞は経済の低迷や国民生活へのしわ寄せとならず、「ぬるま湯」的な環境がますます国政の停滞を助長しているのである。
またサバーハ家と有力財閥との関係も一部を除いて冷え切った関係にある。最初に述べたようにサバーハ家は元来有力商人の一人であったが互選により首長の座につき、それを財政的に支えたのが他の商人達であった。つまりサバーハ家と有力商人の関係は、国政を付託された者とパトロンと言う関係であった。この力関係を根本的に変えたのが石油の発見である。石油を支配したことによってサバーハ家は他の商人達に対し決定的に有利な立場に立った。他の商人達は石油の富の恩恵を間接的に受けるだけの存在となりサバーハ家に対するパトロンの立場を喪失した。こうして彼ら商人達は国政には見向きもせずひたすら自己の利益を追い求めるようになった。彼らは財閥となり独自のエスタブリッシュメントの世界を築き上げ、国政には無関心となった。
彼等は圧倒的な経済力をつけたサバーハ家がこれ以上自分たちの地位を脅かすことがないことを願った。それは国家即ちサバーハ家の力を強めないことである。結果として彼等自身はクウェートの防衛上の脆弱さを認識したが故に、自らの財産を国内ではなく海外に逃避しているのである。幸か不幸かそれが的中したのがイラクによるクウェート侵攻、いわゆる湾岸戦争である。商業財閥はサバーハ家を信用していないし、また自己の利益につながるという保証がなければサバーハ家に協力してクウェート経済を発展させようとは考えていないのである。
(1)国家及びサバーハ家に対する国民の信頼感の欠如
サバーハ家の指導力の不足と国会及び財閥のサバーハ家に対する対抗心或いは無関心は、一般国民にも反映しているように見受けられる。クウェート人の大半は政府機関に雇用される公務員であり、彼らの地位と待遇は恵まれている。しかし彼等はそれが石油と言う天与のものによって支えられており、自分たちの生活が保障されているのはサバーハ家のおかげであるという意識は無い。そもそもサバーハ家には庶民が敬愛するような建国の神話(legend)がなく、また彼らが進んで敬服するような宗教的権威・正統性(legitimacy)もない。先住者の中のリーダーであったというだけの権威付けしかないのである。
そして一般国民がサバーハ家に最も失望したのは湾岸戦争である。その時サバーハ家はイラクがまさか自国領土を侵すなどと考えずそのための防衛対策も全く準備していなかった。そしてイラク軍が侵攻するとサバーハ家は殆ど抵抗せず、それどころか国民を置き去りにしてサウジアラビアに逃れたのである。後に残されたクウェート人の或る者はイラクに拉致され、市内に留まった者はイラク軍或いはかねがねクウェート人に反感を持っていたパレスチナ人などの出稼ぎ労働者の略奪を受けたのである。
国民は首長の無力さと国家と言う存在のはかなさを痛感したと思われる。そのような彼らにサバーハ家及び自国に対する信頼感が欠如しているのは或る意味で当然のことかもしれない。
5.サバーハ家の将来
ジャービル系のアハマド現首長の後継者はサーリム系のサード皇太子である。そして次期皇太子がこれまでの慣例に従いジャービル系のサバーハ現首相となることは間違いないであろう。年齢は首長77歳、皇太子75歳、サバーハ首相76歳といずれも高齢である。サウジアラビアのアブダッラー国王、スルタン皇太子も高齢であり、年齢の高さが一概に問題とは言えない。しかしクウェートの場合は首長、皇太子がともに病弱であることが大きな懸念材料である。しかも世情では病気の原因を遺伝的なものに結びつける噂が流れており、サード皇太子の後継首長としての適格性を問題視する気配すらうかがわれる。
サード皇太子が一族のリーダーシップを取れない状態が続いたためか、サリーム系の地盤沈下は甚だしい。一方、ジャービル系は首長が病弱であるが、彼の兄弟のサバーハ首相、ナワーフ内相が一族をとりまとめて着々と勢力を拡張している。将来クウェート首長の系統がジャービル系に一本化される可能性もあろう。両系統の他にもハマド系、ナシール系がありハマド系のジャービル副首相兼国防相(57歳)のような有力な王族もいるが、彼らの系統から首長が選ばれた例は無く、従って両系統はジャービル系又はサリーム系に対してはキャスティング・ボートを握る立場に留まるであろう。
数年前の後継者予想ではこのジャービル副首相(ハマド系)のほかムハンマド(第12代首長の子息、サリーム系)、アハマド(現エネルギー相、ジャービル系)、ナシール(サバーハ首相子息、ジャービル系)などが取り沙汰されていた。
サバーハ首相が比較的健康に恵まれており次々期の後継者問題が早急に表面化する気配は無い。ジャービル首長が亡くなればサード皇太子が首長に即位しサバーハが皇太子となり首相を兼務することとなろう。これは皇太子が首相を兼務するというこれまでの慣例にも沿ったものであり、サバーハ家の内部でも異論は無いと思われる。更にその先の後継者としてはアハマド・エネルギー相が有力である。彼は現在OPEC議長(今年末まで)であるが、その言動は非常に活動的かつ野心的である。元来クウェートのエネルギー相(旧石油相)は議会からの標的になりやすいため、安定したポストではなかった。しかしアハマドは今では議会と対等以上に渡り合う存在となっている。さらに彼の父親は湾岸戦争時に王族の中では唯一人イラクとの戦闘で戦死した人物である。そのことが神話(legend)として息子のアハマドの経歴に輝きを与えていることは間違いない事実なのである。
最後にサバーハ家体制存続の可能性について触れておきたい。クウェートの石油埋蔵量は現在の生産レベルを100年以上継続することが出来る。即ち無尽蔵であると言えよう。従って遠い将来にわたって豊かな生活が保証されている。しかしそれ故というべきであろうが為政者や国民自身のモラルを維持することが最大の課題となる。その点で気掛かりなことは、首長及び皇太子共に病弱を理由に国民に直接話しかけることが最近では全く無いことである。彼らには統治者として所謂noblese oblige(高い身分に伴う義務)があるはずであり、国民に対して国家としての誇り(pride)と自覚(identity)を呼びかけることは重要な義務のひとつであろう。もし今の状態が続けば国民はサバーハ家の存在意義を疑い始める。その時、サバーハ家は名目的な首長となり(場合によっては退位の可能性すら考えられる)、クウェートは真の意味の議会制民主主義国家に変貌するかもしれない。クウェートは全ての国民が豊かなためたとえ体制が転換する場合でもそれは急進的な革命とはなりえないと思われる。体制が転換することに国民は殆ど痛痒を感じないはずである。そして民主制への穏健な体制転換は米国にとっても好ましいことであり、世界がそれを受け入れることは間違いないであろう。それはサバーハ家一族にとっては悲劇的な結末ではあろうがーーー。
以上
本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
前田 高行 〒183-0027
Tel/Fax;
042-360-1284, 携帯;
090-9157-3642
E-mail;